由  来

秩父吉田の伝説「鶴のよぶ地蔵さま」より

明和二年九月のある日、布里の里をとりまく山の南端、丸山に茂る松の大木に 八郎兵衛は不思議なものがとまっているのを見つけた。大きな白い姿をしている。 さっそく近くの京之進に知らせた。京之進は若い頃、上州高崎で剣の道に励んだ こともあり、なかなかの物知りであった。その京之進の言うことには、前に絵で見た ことのある鶴と言う鳥ではないかと言うことであった。 夕暮れになる頃には、二羽の鶴は飛び立って何処へとも無く姿を消した。 八郎兵衛が家へ帰ってみると、いつのまに飛んで来たのか二羽の鶴が家の近くで 餌をあさっていた。こうして二羽の鶴は八郎兵衛の家のまわりを回って、餌をあさり 七日間をすごして八日目に、再び上空高く舞い上がりどこへともなく去っていった。 この鶴の首には、一枚の札がつるされていた。字もかすれて読みにくかったが、 八郎兵衛と京之進は[○○州○○地蔵尊]と、だけは読み取ることが出来た。 里の人々は八郎兵衛の家を『つるまき』と呼ぶようになった。 八郎兵衛の家のまわりを七日間もまわっていた鶴を見た里人は、その後も鶴の話が くり返し話された。明けた年の年始の宴会でも話題となった。 「ここの土地へ地蔵様をまつってもらいたいので、鶴が飛んできたのだろう」と、話が もち上がり、みんなで地蔵様をまつろうと言う事になった。 京之進と八郎兵衛が世話人となり、さっそく浄財を集めて岩殿沢の石工にたのんで 地蔵様を刻んでもらった。 鶴が飛んできた松の木の茂る丸山のふもとにまつられた地蔵様は、ご利益があると いうので、近郷近在からの参詣者でたいへんにぎわうようになった。 今も福授地蔵尊とよばれて、里の人々の幸せを守り続けている。

(八郎兵衛は園主の6代前の実在人物です)

鶴の足跡お地蔵様





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